身代わり弘法大師石像


弘法大師石像
当寺院では、広島の原爆投下時に尊い命を奪われ、
犠牲になられた多数の身元不明者のご遺体を見かねた
初代住職了眞和尚が、境内にて荼毘にふし、
その遺骨の一部を本堂にお祀りして、
朝に夕にご供養しておりました。
了真和尚の祈案により、原爆犠牲者と、
海外で戦歿された軍人、軍属の霊を慰める為、
全国の善意の方々の浄財(当時1,000万円)の寄進を
いただき、愛媛県温泉郡阪本村丹波市で採石した、
安山岩(長さ35尺)一石を広島市へ
貨車輸送いたしました。
この安山岩を
「身代わり弘法大師」
(身長約20尺、重さ2万1千貫と当時の新聞に記載されている)として彫刻し広島市西区中広町の境内へ安置しました。
昭和30年
石像の台座に当該ご遺骨を納骨し、開眼法要を執行。
“ノーモア、ヒロシマズ”と
世界の平和を全世界へ説法し続けています。
以後二代目住職日和佐瑞信尼を経て、
当代まで62年間、今もなお、
「各霊位よ安かれ」と祈る毎日です。
新薬王寺へのお迎え
~お大師さまの石像、涙の別れと拍手と感激の中、お出迎え~
弘法大師石像は、
当初、広島市西区中広町に安置されていましたが、
四囲の事情が推移し、やむなく別院のある
山口県熊毛郡田布施町に暫くお移りしておりました。
その間近隣の人々からも
随分と厚い信仰を集めてこられました。
前回お知らせ致しました通り、新しく生まれ変わった薬王寺では「身代わり弘法大師」さまをお迎えする準備に星霜を重ね、この程台座の工事が完了し、準備が万端整いましたので、漸くお迎えすることができました。


お大師さまの石像は、
十五年間山口で人々の救済にあたられ、
救われた方々から
溢れんばかりの涙のお見送りを受けられ、
涙と合掌の中
馴染みはじめられた山口を静かに旅立たれました。
時は平成20年3月7日
待望久しくお大師さまは、
移設作業に携わってくださった方々や、
信者の皆様からの温かい拍手と感激の嵐の中、
大きな車にそのお姿を横たえられ、
一日も早く民衆を救わねばと言われんばかりに、
滑るように本堂の前に入ってこられました。
これまでに見たこともないような
色々様々な機械に囲まれたお大師様は、
そのご法体やお顔を布で巻かれ、
布のベルトを肩からかけられ、
安全かつ確実な方法で、
待ち受ける台座の中央にゆっくりと、
そしてどっしりと安置され、
その堂々たる威容が顕現されました。
西日本豪雨
平成30年に起きた西日本豪雨
その、豪雨の起きる数日前に身代わり弘法大師様は
その名の通り
『身代わり』として
網代笠・五鈷杵を差し出され
右図の様な御姿となられました。
弘法大師像様の身代わりにより、
近隣地帯では一切の被害もなく
平安にその時を乗り越えることができたのです。
網代笠・五鈷杵のない御姿のまま
複数年が経ち、
このままでは大変心の痛む日々が続くことへ終止符を打ち
新たに網代笠・五鈷杵を復元するに相成りました。
しかしながら
特殊素材の石を、
専門の職人による手掘りでの作業と相成り
その費用は膨大なものとなってしまいました。
そこで、
現在、クラウドファンディングを行っており、
皆様からの浄財を弘法大師様へ
御返しできる様にと努めております。
ぜひ、皆々様からの浄財を頂けますことを
ここにお願い申し上げます。
